昭和47年8月12日 朝の御理解

御理解第69節 「信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ」



 「みやすう信心をするがよい」と仰る。「みやすう信心をするがよい」けれども、前の方には、えー、そのみやすう信心を、で、わが心がまるれるような信心が出来るだろうか。出来る、だからこそ教祖はここにこう仰っておられるのである。
 「三年五年の信心では、迷いやすい」「氏子からむつかしゅうする」とこう仰る。ね、私共が、その、わざわざ信心をむつかしゅうせんでん、みやすう。しかも十年と経ったら、十年もしたら、ね、たいがい、いい加減に自分で自分の心が拝めれるようになる。みやすいやら、難しいやら分らん感じがしますけども、教祖はそう仰っておられる。
 「みやすう信心をするがよいぞ」と。そして、もう十年も経ったら、それこそわが心をまつらせて頂けれるほどに、何かこう(そうわない?)感じがするんですけれどもね、問題はこの「みやすう信心をするがよい」というところが問題じゃないかとこう思うですね。
 なら、そういう十年もしたら自分で自分の心が拝めれるほどしの信心を、しかもみやすう頂けて行くというのは、どういう信心だろうかと思うですね。
 皆さんも毎日毎日もう、なら二十何年間、椛目合楽を通して御日参りをなさっておられる方達も沢山あります。どれほど、わが心がまつれるほどしのものが育っていきよるだろうかと。
 なるほど、もう長い間朝参りでも続けておられる方達ならば、もう信心が(たいほ?)さほどに難しいものではない。ね、いわゆるお参りしない方が難しい。お参りさせて頂くという事が有り難い。
 まいらにゃ気持ちが悪いけん参るといったようなものでは、皆さんの場合無いと思う。やはり、参れば参るほど、有り難うなってくるとか。参れば参るほど、新たな知識を身に付けて行く事が出来るというのが、楽しみでもありゃ、ありがたかもあるから、何十年という御日参りが続いておる。
 だからもうその方達、その普通のもんから見ると、とても私だんそげなこと出来んというて、むつかしい事になりますけれども、ね、そのお参りを続けておる方達の場合は、その難しくはない。と私は思われるんです。
 例えば、なら、んー、吉井の「くまがえ」さん当たりなんかの場合そうですね。もうそれこそ、三里、三里の道を、毎朝毎朝あぁしてお参り。毎朝所じゃない、さぁ月次祭ともなると、三回はどうでも参りなさる。色んな会合がここで、いろ、敬神会にも入っておられる、婦人会にも入っておられる。十三日会は勿論。と色んな会合なんかの、に、ある時なんかはもう必ず参加になるわけです。朝参りをして、その会合に出て、そして、今度はまた夜お参りをしてくるというのですから。よっぽど、その暇人じゃろうちゅうごたる。
 暇があるから参られるというのじゃないですね。ですから、決してその信心というものが、もう「くまがえ」」さんの場合は難しいものではない、という事はなら「くまがえ」さんのご信心から言うても分る。
 もう有り難うなる、楽しゅうなる。そこにはもう難しさはないですはね。だから信心がそのように、有り難うなって来るとか、楽しゅうなって来るというようなところまでは、いかなければみやすいという事はいえないという事もいえます。
 昨夜、もう十二時、もうちょっと過ぎじゃなかったでしょうか。昨日は東京から、あの実さんが来るようになっておりました。久保山。
 それで十一時頃、着くはずでしたから、十一時半頃まで、あの待っておりましたけれども、来ませんもん。それでひょっとするともう、あの、真っ直ぐもう善導寺の方に帰ったのかもしれんから、もう皆休みなさいというて、皆休んで、私はそれでも又、気に掛かるから、テレビでも見よりましたら、あの、やってまいりました。
 飛行機が随分延着したらしい。まぁそれから、一時半頃でしたか、いったか一時間とちょっとばかりだったわけですが。まぁその間色々、まぁ話を聞かせて頂いたのですけれども。
 んー、久保山先生のお兄さんに当たられます方。んー、「小松茂?」とか、「茂?」さんと仰ったですかね、「小松?」さん。
 大変成功を、もうそれこそ、この( ? )きっての、まぁ成功者の一人と数えられれる方。大体北野の方ですね。久保山先生が大体がそうですから。日本、日本ゴムの社長さんが、告別式には見えられて、社葬があった。もうそりゃ大変な、お葬式だったらしいですね。
 けれども、そのお葬式を拝ませて頂いてですね、もうしみじみ家の父がおかげを頂いておった、という事を感じましたと。ね、もうそれこそ、成功者。いわゆる、こうなしとげられて、えー、八十二歳でしたか、ね、(八日?)亡くなられて。
 しかも、なら、あの日本タイヤ、あー、ブリジストンの社長さん、その、の会社の社葬ですから、勿論その社長さんも見えておった。それこそ有名な人達が沢山、まぁ参列された事でございましょうけれど、それを拝ませて頂くにつけて、本当に信心の有り難さというものが、もういよいよしみじみ分らせて頂いたという話をしております。
 ね、人間は、例えば成功するとか、有名になるとか。沢山な金が出来るとか、決してそんなことじゃないという事。とにかく、私は信心、今日の御理解でいうなら、信心がみやすいものだというところまで、信心を、私は進めておくということだと思わせてもらう。
 ね、二十年近く、いうならば、あー、朝、私が朝の( ? )をする前に、ちゃんと出て来て下さってその、御用をして下さって。ご承知のように、もうお広前一切を自分がきり回しておいて下さる( ? )それでいて、あの御理解の収録なんかというものは、もうそれこそ目の覚めるような字で書いてございますわね。沢山のそれを残しておられる。
 しかも、教会の御用はもういっぱいされながら、そして、昼に帰られてから、あの広い、自分とこの裏の田んぼを、それこそ花畑のようにきれいにしておられた。そして、又四時の御祈念前には自分の奉仕の時間でしたから、(やってくれちゃんと?)そして夜の御祈念が終わって、えー、帰る。
 これがもう十何年間、先生の日課でした。もうとても真似はできません。今から考えて見ますと。まぁそりゃ(すっとりばあい?)方ではありました。もうそれはもう本当に、人の何人前も出来る方でもありましたけれども、大変な事だったとこう、亡くなられて初めて感ずるわけですけれどもね。
 ならそれを先生が、もう大変苦になるという風はさらさら無かったという事。もう何時も、いうならば鼻歌交じりだった。ね、それがなら現在善導寺の、久保山の信心の基礎になる事になりましたけれども。
 ね、なら「くまがえ」さんの例をとりましたように、久保山先生自身も、信心といやきついもんだとか、難しいもんだとは、もうさらさら思うてはなかった。毎日毎日、例えば、神様の御用をさせて頂くと同時に、沢山残しておられる、私の御理解を収録するというがもう、とにかく楽しゅうてたまらんという感じであった。
 その合間合間には、もう誰々さんに、まぁもう手紙ずっと御理解を送っておられた。当時東京に、和子さんが行っておられましたが、和子さんの所にも、実さんの所にもそうでしたけれども、御理解を沢山、こんな手帳にして、それを何冊も送っておられた。
 それを亡くなると同時に、ここへ全部、あのお供えになりましたから、もうそれもう丁寧な字を書いてね、沢山な、それこそぼつだいな、あの数になる事です。
 というような事がです、なら先生の場合、難しいということじゃなかった。まぁいうならば、苦労死にのようにも思われたけれども、ね、苦労死に、のようにも思われたけれども、そうではない。その後の、例えば信心の光というものをです、これは形の上ではないものを、子供達に残しておるという事。
 茂さんも一緒に、今度はその告別式に、行きましたから、夕べは一緒に帰って参りました。これはもう茂さんが、その事をしみじみ申しました。最近ちょっとこの頃、信心がぐずぐずしとりましたけれども、今度の東京行きで、又新たなものを頂いて帰ったという感じです。
 もうそれこそ、目を輝かしてその事を話ました。父がおかげを受けておったという事がよう分ると。ね、人間は、功が、功をなすとか、成功するとか、金を沢山、が出来るという事では決してない。それがその、そういうような盛大なお葬式を拝ませて頂いて、それを実感して帰って来た、とこういうのですから。
 ね、ですから、私共は本気で信心をさせて頂くならば、難しいとかきついという信心ではなくて、みやすう信心が出来。いやみやすうじゃない、楽しゅう有り難う出来るというところまでは、信心を進めとかなければいけませんわけですよね。
 ならそこで、なら又私共の信心を振り返らせて頂いてです、ここで信心をさせて頂いておるが、果たしてもう十年やら、十五年もたっとるけれども、わが心をまつれるほどしの信心が頂けておるだろうか。
 ね、私は、これも昨日、一年間ぐらいたまっておりました。私のここで色んな、ちょっと色んな、控えた物をためておるのがいっぱいたまっておりましたから、昨日末永さんが、あーこんなに( ? )してくれました。
 あの、こうして、これにおさめてくれる。まぁこれも沢山出来ております。それを私はあの、一番初めのところを、のここをですね、一番初めのところに、今日の御理解を頂いてから、こん中からと思うて、一番初めをはぐらせて頂きましたら、こういう事を書いておる。私は覚えないですけれども、何時かの御理解でしょう。
 んー、「他の事が気にかかるうちは、自分の事が点で空になっておるのであります」。と書いてあります。他の事が気に掛かる、他人の事が気に掛かる。他の人の事気にかかる。という時には、もう点で自分の事は留守になっておる時だというのです。
 又次に、開けさせて頂いたら、こんな事が書いてある。これは、こういう(?)だから、こういう御心眼から頂いて書いたものらしい。★心を忠心。あの忠心の忠という字が書いてあって、心を、心忠心で行く信者が、神のしん、神の忠心じゃ、という事を頂いた。
 神様の忠義者という意味なんです。それはどういう事かというと、沢山御用が出来るとか、お参りが出来るとかという事では決してないという事。神様の忠心。神様の忠心。ね。神様から、あの氏子は神の忠心じゃと、忠心というのは、忠義なもの、人という意味ですよね。それは、心忠心で行く人。心を何時も忠心でいく信者が神の忠心じゃと。御用が出来るからじゃないんだと。
 神を大事にするより、心を大事にせよと。心を大事にすれば、神を大事にせねばおられない、というような御理解を、だったでしょう。それをその事書いておりますね。忠心。それをこう分解すると、心の中というなる。忠心の忠とう字はね。
 本当に神様に好かれる氏子になりたい。神様にお喜び頂きたい、信者に劣り立て頂きたいというのは、心忠心で行く信者だということになります。自分の心ですよ。自分の忠心で行く信者が神の忠心じゃととられる。
 ね、そういう意味でです、心を大切にして行くという事。心を大事にして行くという事。だから自分自身の心だけを見極めておければ、とても人の事なんか目につかん。いや目についたところでね、それが私であるならば、家内が目につく、子供達が目につく。
 そりゃ目につきます。目につきますけれども、それをそう自分の心にもってくる。自分の心にもって来ると、例えばなら、家内がいう事聞かんとか、子供がいう事を聞かんというような場合にいたしましてもですよね、自分の心の上に、その事を持ってまいりますと、家内がいう事聞かんのじゃない。子供が自分の思うように動かんというのじゃない事になってまいります。
 そういう生き方を心忠心というのです。ね、だから人んこつばっかり気になったら、あの人が、あれがと言うておる時にはもう点で、自分の心は、信心、いや空になっておるという事は、信心を外しておる時だということを書いておりますね。他の事が気にか掛かるうちに、自分、自分の事が点で空になっておるのでありますと。
 ね、ですからもう全ての事を心忠心、よし人の事が気になったりした時には、はー、今こそ、神様を自分は外しておる時だというような頂き方が身に付いた時に信心はみやすいものになってくるようですね。
 あれがあぁ言うたから、あれがあぁしたから、そりゃもう家の子供いっちょんいう事聞かんと言うて、他所の方ばっかり見とる。そういう時にはもう絶対、確かに、神様を外しておる時であると同時にです、ね、いわゆる心忠心といわれう、その心を忠心にしていない時でありますから、もう点で、心は空になっておる時だということなのです。
 ね、そういう信心を、身に付けるという事は、こげんきやすい事はなかわけです。それだけのことですから、ね。会得したらこんなにきやすい事はないわけです。しかもね、そういう生き方をする人こそ、神の忠心じゃと仰る。神の忠心。神様の、いうなら、お気に入りの信者に劣り立て頂くという事。神様のお気に入りの信者に劣り立て頂いたら、どういう結果になるかという事はもう、分かりきったこと。ね。
 神様のご信用はいよいよ増してくる。いうなら、御神徳をいよいよ円満に受けていけるということになるのです。ね、難しいことを言うこともなんもいらん。
 ね、久保山先生の例をとりました。「くまがえ」さんの例をとりました。あれほどしの信心が出来ておられたのに、信心が難しいものとは思うておられなかったようだ。だけではない、ありがたいものであった。楽しいものであったようにある。これはみやすく、信心がもうみやすうなっておるのです。
 ね、ならまた私が今日、今申しますように、心を忠心で行くことが信心だという事になったらです、ね、だから、これは、心の中に反省させて頂くことがです、はー、人のことどんが気になりよる。人んこと言うた事がこげな、心の中に、とね、例えば姑、親でいうならば、嫁ん事が、足元が見える。
 嫁でいうならば、ばばさんの足元ばっかり見える。という時にはもう点で心は空になっておる時だと、とるというか、知らせて頂いたら、ね、何時も心の内にそれを持ってくるという事。ただそれだけのことじゃからみやすいでしょう。
 私は、教祖様が仰る「みやすう信心をするがよい」というのは、そういう意味の事ではなかろうか。自動車の運転が難しい。けれども、一度運転を覚え、運転の免許をもろうたら、もう後は鼻歌交じりで、いうならば運転が出来るようなものではなかろうか。
 みやすいと言う事はそれだと、私は思うんです。ね、しかも心を忠心、今日私が申します、心を忠心でまいりますならばです、ね、たったそれだけの事じゃからみやすいじゃないですか。他の御理解いらん。それだけでよか。それが身に付いてしまえばもう良いのである。
 ね、困ったことが起こっても、その困った事を、事を、ではなくて、自分自身の心の中に、困った心のあることを、分からせて頂いていくという、その信心が身に付いたら、みやすいです信心ちゃ。
 そりゃ、運転免許を持った人が、自動車の運転をするようにみやすいのである。しかもそれはです、ね、「くまがえ」さんにしろ、いうなら、久保山先生にしろ。もう信心は、楽しい、ありがたいものになって来ておるという事です。
 昨日、実、実さんがこういう事を言うんですよ。僕がそげな、そこんところじゃから、本当に、その対してお参りをせんでも、ね、例えば東京から時々その、おて、手紙の出すぐらいで、おかげ頂くとじゃろうというて、まぁ話したことでしたけれど。
 こういう事を言うですね。んー、親先生もう合楽の御理解はむつかしすぎる、とこういう。月々おかげの泉も読ませてももらう。又こちらへ帰ったたんびにみ教えを頂く。なるほどぽかっと聞いたら、そりゃ難しい。けれどもです、ね、これは、難しいけれども、これは私が一生涯かかってからでも、いうなら、昨日の御理解じゃないけれども、説いて説いて、説き明かしたようにあっても、まだまだ天地の親神様のお心を説くということはです、ね、お釈迦様が仰るように、髪の毛を百に割って海の水につけた(ひとしつ?)がたもない、と私は思うておるのです。
 だからこれが皆の身に付かなければならなんというのじゃなくて、教祖生神金光大神の教えられた事はそういう、素晴らしい内容を持っておるんだということをです、これは、私はその、そこに一つの責任を感ずる。
 皆さんに聞いて頂いておるとじゃない、私自身の心の中に頂いておるのである。だから、それによっておかげを受ける受けないじゃない。おかげを受けるというのは、みやすい。例え、私が申しましたようなところを、身に付けるだけでよいのである。
 そして、話を聞くという事によってです、あ、いよいよ新たな知識を、信心の知識を身に付けさせて頂くという事も、楽しいありがたい事である。
 難しいなら、分からんなら分からんなりでよい。いや、こうやって話を聞いて下さる人の、がです、例えばそれがつんぼであっても、耳には入ってはいなくてもおかげだけは頂く。
 全然耳の、全然聞こえない人が、私のお話を頂きながら、涙をぽろぽろ流しとるちゅう。ね、そのように例えば素晴らしい功徳のあるものなんです。御理解というのは。ね、分からなければならんという事ではない。というような事を、いいながら、もう本当に最近、例えばお店の上におかげを、先日から、嫁の「さとこ」さんが今帰ってこちらへ来とります。
 もう同じこと言ってましたが、実さんもその事を、繰り返し申しておりました。もう本当にこげんおかげ頂いてよかじゃろうかというごとあると。
 昨日信者さんが、ここへ言ってました。もうこの人がおかげ頂くはずだという事はもう、この人があの、あの、何というですかね、仕事するところ、カウンターの向こうにね、立った時の姿はもう兄弟ながら、ほれほれとしますとこういう。その生き生きしておる事。
 これならお客さんが来るはずだと。その内容はどういうことかというと、もう親父がいいよりました。父がいいよりました。お前は金光様分からんから、親先生だけでええとこういうが、もう僕とこうやって話そう時( ? )必ず親先生。親先生が出てくるとこういう。
 というようにもう、心の中の全部が親先生の、かのように見えるんだと。しかも、あの白衣を着けて、お店に立った時の彼の姿は、もう兄弟の私が惚れ惚れするごとあるとこういう生き生きしたものがあるという事なんです。
 ね、そして、僕が何時も思っておりますことは、合楽で最低の信心だ。最低のおかげしか頂いていないんだと思うちこういう。ね、こんなにおかげ頂いてよいだろうかというに、おかげを頂いて、頂いた言いながら、合楽では最低の信心である、最低なおかげだとこう。
 いやあんた素晴らしい事言うねち。私だんまだ今中という事、今中と言う事。今中。どういうおかげを頂いておっても今中と思えば、慢心は出らんといよるが、あんたは今中どころじゃけれども、まだ一番の初めんところば頂いておる。
 この人が東京から参ります時に、一番初めに頂いたのが慢心と言う事であった。東京から、帰って来る時には必ず、寿司のネタを沢山もってきて、今日もここで、その寿司をにぎ、握らせて頂くからと、夕べ言うて帰りましたから、今日まぁ見えることだろうと思うんですけれどもです、ね、もうおかげ頂いておる事が止むに止まれんものが、そういう風にでもしなければおられないのである。
 ね、それでいて、まだ最低のおかげしかいただい、おかげが頂き足らんと言う意味じゃないわけですよ。おかげ頂いておると思うから、慢心が出るのです。
 もうその、慢心、慢心をだしちゃでけんぞと言うことをですね、慢心が大怪我の元であるという事を、何時も申しますが、ね、そういう、私は心の状態である時に、慢心の出ようがない。こういう生き方も又、私はみやすいのじゃなかろうかと思うです。
 私の心の中が親先生でいっぱいなのだもの。あの人が手紙を出すともう、とにかくどれ、何回親先生有り難うございますをいうか分からんです。文句の他に。書きながら、もうちょっと有り難いと思うたら、親先生有り難うございますと書いて又、次の事をいっておる。というようにです、こういう信心なんかもただ、父親からもう、あんたは金光様と言うことはいらん、親先生といいさえすりゃ、ただそれだけを僕は覚えておると言う事なって。
 だからこれなんかも、みやすい信心ですね。それでいて、本当に勿体無い事のおかげを受けておるという事。
 今日はそのみやすいという、私は一番問題になるところはね、「みやすう信心をするがよい」と仰る、みやすいということは、ね、ただ、(るさん?)な信心といったようなものではなくてです、ね、十年も経ったら我ながら、わが心がまつれれるほどものという事を、その前に言っておられます。
 そんならそうにゃ修行でんせにゃにゃんじゃろう。こうじゃろうという事ではなくてです、今日私が申しました色々なみやすい信心。そういう信心からなら、われながらわが心がまつれれる。われながらわが心が拝まれる。というようなところまで、進んでいけるのじゃないかと思うのです。
 ね、信心は、だから、教祖のみ教えというものは、本当に頂き間違えると、大変な事になる。簡単にね、「みやすう信心をするがよいぞ」というけん、ただ( ? )自分の気分の向いた時どん参ろうというような事ではないという事。
 けれども、ほんなら、信心を一度、一通りというかね、して、ただ心を忠心でいくといったような生き方の信心だったら、それは神の忠心とまもとり立てられる、ほどしのお徳が受けられる事。
 もう心一つに絞っていくという事を、極める。ね、それに何度や、人のことどんが気に掛かるぐらいな事であっては、もう点であなたの心から信心が抜けておる時だと、極言しておるのですね、この御理解は。いわゆる事実そうです。
 人のことどんが気になったり、しとる時にはもう点で、自分の心から、神様が遠のいてござる時だと分からせて頂くような信心なら、ね、それ、例えばこれは私ここでお話をする事がみやすいので。実際身に付けて行くという事は、さほどにみやすうはなかろうごとあるけれどもです、いやしかし信心ちゃたったそれだけばいち。心忠心でいくだけばい、それだけなんです。みやすいでしょう。
 ね、だから本気でなら自分もその気にならせて頂いたら、信心は見やすいものになって来るのです。ね、そこから、十年と経ったら、わが心がまつれれるほどしのものも生まれて来る。
 ね、神様の中心として劣り立てを頂く。神様の中心として、ごし、神様のご信用をあつうして行く事が出来るほどしのおかげも頂けるのであります。どうぞ。

梶原 佳行